三十世宗家、小笠原清信の長男として1943年、東京に生まれる。慶應義塾大学商学部卒。社会福祉・医療事業団勤務。1992年に第三十一世宗家を襲名。現在、国学院短期大学、池坊学園、本学の客員教授、大正大学非常勤講師、東京都学生弓道連盟会長、日本古武道振興会常任理事などを務める。伊勢神宮、熱田神宮、鶴岡八幡宮をはじめ各地の神社で「流鏑馬」および礼法、歩射行事を奉納する一方、NHKカルチャーセンターや朝日カルチャーセンターなど全国で礼法指導を続けている。
2009年度、鹿屋体育大学客員教授に就任。
日本の伝統的な身体儀礼文化-武術礼法から日常の礼儀作法まで-(PDF1.63MB)
儀礼文化学会 常務理事
鎌倉時代に源家の糾方を受けた小笠原長清によって創始された。長清は、頼朝公が鎌倉に幕府を開くと、父の加賀美二郎に従い、糾方的伝師範として頼朝公の糾方師範となった。文治3(1187)年、長清26歳の時である。長清は父と共に流鏑馬、奉射、また鶴岡八幡宮参拝次第など、故実を基に新しい武家儀式を制定した。江戸時代には、八代将軍吉宗公の糾方師範として騎射目代を命じられ、家伝の書を参照して新しい流鏑馬を制定した。また、十五代慶喜公の治世には、騎戦訓練法を作り、旗本の訓練にあたった。明治8(1875)年、将軍家の許しにより神田に弓馬術礼法小笠原流道場を開いた。
小笠原家は、本来は弓馬の武術の家であり、礼法は家伝の弓馬術の基本動作をまとめて武家社会の作法としたものである。将軍家のみの御留流として、小笠原家のみが継承していたため、巷間に流布することがなかった。礼法、弓術、弓馬術の3つを修めることが必要であり、その修行の過程を大事としている。